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台風14号日記
平成17年9月6日夜、西日本を襲った台風14号。
岩国市多田(岩国IC付近)に住む私の家も大きな被害を受けました。
その様子を、時間を追って振り返ります。

9月6日(火)
●午後5時30分頃
 雨風が強まる中、職場から早めの帰宅。行政からの避難勧告等は出ていない。

●午後7時頃
 停電に備え、早めの風呂に入る。うちの地域は井戸水のため、停電になると水が使えなくなるためだ。停電時の夜間トイレにも備えて、風呂の水も貯めたままにしておく。
 また、風呂の水がなにやら臭かった。井戸水だから、何かあるのかなーと思いながら我慢して入る。便所や台所でも、空気が下から上がってくるらしく「コポッ」と度々音がする。

●午後10時頃
 インターネットで遊んでいたところ、電話回線が不通になる。仕方なく、缶ビールのフタを開けて一杯やることにする。

●午後10時30分頃
 「そんなに台風強くないね」と嫁と話す。
 そんな時、近所に住む上司から「大変じゃね、そっちはどんな?」と連絡が入る。「何がですか」と思いながら窓から外を見ると、車がタイヤまで水に浸かっている!焦って車整備士の友人に「どこまで水に浸かったらダメなんか」と聞いている間に、水はすでにヘッドライトの上辺りまで増している。家の扉を空けると、ザーっと水が入ってきて、床部分の直前まで浸かる。
 大東建託の建物は、1階の人も2階の人も、玄関は1階。2階の人は、玄関入ってすぐに階段があり、上がって2階が住居という造り(うちは2階です)。さらに、うちのアパートは道路よりも30cm程度高いため、道路に出ようものならもっと身動きがとれないだろう。
 あわてて2階に上がって嫁に報告してベランダから外を見ると、1階部分にまだ電気がついている。あわてて1階の人たちにうちへの避難を呼びかけ、上がってもらう。床には水が上がり始めていた。
 右写真は、水没しつつある車。最終的にはフロントガラスの真ん中くらいまで水位が上昇した。
9月7日(水)
●午前0時頃
 トイレにいこうにも、水が流れない。流れる先まで水が上がっていて、風呂に貯めた水を流しても流れないみたい。水が退くまで我慢・・・。
 駐車場では、停めてある車の室内照明やハザードが点灯し、遠くではクラクションが鳴り続けている。これは、電気系統が水に浸かり、異常を起こしているためだという。愛着のある愛車が最後の叫びを挙げているようで、ちょっと切なかった。

●午前1時頃
 完全に停電となる。誰も携帯ラジオを持ってなく、災害情報は全く入らなくなる。
 仕方なくあるだけの布団を割り当て、災害復旧となるだろう明日に備えて寝ることにする。が、一向に下がらない水位や、水に浸かった1階が気になりなかなか寝られない。更に、トイレを我慢するのに気を取られ、落ち着けない。災害時の悩みの一つだろう。
 夜中には、もはや水面となった道路をボートが走る。願わくば、真夜中とはいえ、この時に何らかの呼びかけが欲しかった。テレビもラジオもなく、i-modeを見ても直近の地域情報は無く、どこがどのようになっているかの情報が皆無だったからだ。錦町なら各戸に防災無線という機械を設置しており、夜の定時放送や災害時の情報提供ができるが、さすがに岩国市ほどの都市になると経費の問題などから難しいのだろう。
 台風は過ぎたはずなのに、雨風はまだ止まらない。台風の速度の遅さに苛立つ。
 結局、一睡もできないまま、外の様子を見てはため息をつく夜が明ける。

●午前5時30分頃
 夜が明け始める。水も床部分からは退いたため、外に出てみる。急速に水が退いていて、泥だらけの地面が久しぶりに姿を現す。

午前6時頃
 アパートからは全て水が退く。アパートが建つ敷地は道路より30cm程度高いため、道路にはまだまだ水がたまっている。
 1階の部屋をのぞくと、中は大変なことになっていた!異臭がするのはもちろん、水の浮力で棚や畳が浮かび、上に乗せていたものが散乱。冷蔵庫は倒れ、床下収納ボックスは浮き上がって水がたまり、見るも無残な状態。
 車はフロントガラスの中ほどまでが水に浸かり、あからさまに廃車の様子。車両保険に入っていたのは、せめてもの救いだった。一方、単車も水没。メーターまでが水に浸かっていた。
 試しにアパートの散水栓をひねると、ラッキーなことに少量ながら水が出る。各家では、これを使ってとりあえず部屋から泥を出す作業などを行う。


●午前7時30分頃
 職場の先輩から連絡が入る。停電で情報が入らなかったが、この電話で錦帯橋の橋脚が流されたと聞く。ありえん・・・と思いながら、納得もする。あれだけの量の水が流れてるんだから。(実際には橋杭の間違えだった。)
 また、どう考えても出勤できる状態じゃないんで(車も水没したし)、自分も休むことを伝え、復興作業に励むことにする。


●午前8時30分頃
 岩国市藤河出張所に、家庭ごみ処理の方針が決まっているかを聞きに行く。さすがにまだ決まっていないとの事だが、去年の台風と同様に、収集はする噂。
 この道中でいろんな話を聞く。「上流からドラム缶が何百個と流れてきた」とか「ある車屋の車がすべて水没した」とか「上流に停めてあったガソリン運搬車が川を流れた」とか。近所の中央フードをのぞくと、中はひっくり返った状態だった。商品が床に転げ、地面が見えないほどの散乱状態。片付けは大変だろうな。

●午前10時頃
 自宅の水に浸かった1階部分の掃除が終わり、ひと段落つく。
 駐車場の泥をかき出すことにし、ほうきではきまくる。子供が裸で遊ぶほどの泥がたまった。岩国市がごみを収集するとの情報を得て、各家に廃棄家具等をまとめて出すよう連絡。
 車屋に連絡。とりあえず来て見てもらうと、復活は期待できない様子。レッカー車で移動してもらう。この日、このレッカー車の出動回数は50回を超えたらしい・・・。多田地区だけでなく、川西なども水没しているらしいので、休む間もないんだろう。

●午前11時頃
 1階の人の掃除を手伝う。その惨状に、どこから何をするべきか、考える気がおこらないほどの状態。
 アパートからは粗大ごみが次々と運び出される。1階の人の家財道具はもちろん、2階に住んで長い人は階段下の倉庫に物を入れてあるんで、それらの被災物を集めると、わずか8軒でもごみの山ができた。
 また、昼過ぎには大東建託が清掃業者を手配し、とりあえず駐車場の泥を洗い流す作業に入った。大東建託は対応が早く、大変助かった。
 
●午後3時頃
 ようやく電気が復旧する。が、水がまだ出ないため、引き続き散水栓の水を使用する。
 道路の水がすでに完全に退いているものの、車道には砂埃が舞い、作業を手伝いに来た人の車や作業車であふれ、まさに戦場だった。


 この作業は翌週になっても行われ、一度は回収された粗大ごみも、第2陣、第3陣のごみが出され、9月13日現在はまだまだ回復していない。また、美川町では更に深刻な被害を受け、まだまだ多くの人手と時間がかかるようだ。
 この台風によって失われた財産、生活は決して忘れられないものになるだろう。ダムの放流にも原因があったとの話も多く聞く。とにかく、ひとりひとりの防災意識、危険予知や対応が重要なんだなと痛感した台風だった。
9月17日(土)
 国道187号線も片側通行復旧しており、久しぶりに錦川を北上して錦町に向かう。
 岩国市多田と川西、美川町南桑の局地的な災害かと思ったら、そんなことは無い。錦川沿いが全て、何らかの影響を受けていたように見えた。10日がたった今でも、路肩には家財道具が置かれている地区もある。
 なかでも驚愕なのは、北河内付近の吊り橋が流されていたこと。川向こうに家が数軒見えたが、あの人たちは川を渡る手段をなくしたことになる。橋の復旧が安いか、移転が安いか・・・。
 

 また、小郷の自動販売機コーナーは撤去される寸前だった。ここは生見川との合流点にあたるため、錦川に流れ込めない水が拡がったのだろうか。敷地内にあるプレハブの軽食店も壊されていた。生見川からの水は10日たつのにまだ濁っている。
 

 路肩崩壊が数箇所あるのに加え、ガードレールが崩れている、案内板が折れているなどなど、傷跡は当分残りそうだ。
 また、被害面積が広大におよぶ岩国市内では、岩国市のごみ収集車はもちろん、下松市、光市、山陽小野田市、小郡町、秋穂町、下関市の収集車が応援に来ていた。県内の自治体が協力して収集にあたってくれているのだろう。感謝☆
9月19日(月)
 次の台風に備えて、手回し発電型「ラジオライト(携帯充電可能)」を買う。